news

HOME > 連載 > 『観ないで死ねるか!sports love Journey VOL14 サラエボ編』「bad luck.but,good luck」
連載

『観ないで死ねるか!sports love Journey VOL14 サラエボ編』「bad luck.but,good luck」

私の本をオシムさんに直接お渡しすることはできなかった。

それは、アマルさんがつぶやいたようにbad luckなことだ。それでも、私はP(パートナー)とともにサラエボを訪れることができた。それでいいことにしよう。そう自分に言い聞かせ、その夜はボスニアの郷土料理の店「Pod Lipom」(ポッド・リポム)」を訪れた。生前オシムさんが足繁く通った店だ。

「アマル・オシムの紹介で来ました」と話すと、すぐにウエイターさんが「こちらへどうぞ」と6人掛けのテーブルに通してくれた。彼はウインクをして「Osim is King」と言った。オシムさんが息子のようにかわいがった森田太郎さん推薦の料理をオーダーすると「わかってるねえ」といった感じで親指を立てた。

Begova čorba(鶏肉のシチュー)、Dolma(ピーマンの肉詰め料理)、Salma(ロールキャベツ)。しかし、Salmaはもう売り切れてしまったという。まだ夜の8時なのに?と不思議に思ったが諦め「これ以外でオシムさんが好きだったものは何ですか?」と尋ねると、水餃子に似た料理を教えてくれた。

森田さんはコソボ紛争後終結後、ボスニア・ヘルツェゴビナの非政府組織の活動に参加した方で『サッカーが越えた民族の壁――サラエヴォに灯る希望の光』の著書もある。『オシムの遺言 彼らに授けたもうひとつの言葉』でも登場していただいた。今回アマルさんに連絡が取れないときサポートしてくれ、インタビューを通訳してくださったタマラさんも紹介してくれた。オシムさんを訪ねるサラエボの旅は、彼がいなければここまで豊かなものにならなかっただろうと思う。

森田さんはサラエボで「サラエヴォ・フットボール・プロジェクト」を設立。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であるサラエボを中心に、サッカーを通じてセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の民族融和を図る活動をやってのけた。いまは、あの有名な探究学舎で講師を務めるほか、ラグビーの審判もし活動の場はさらに広がっている。

オシムさんが通った店らしく、どれもすごく優しい味で美味しかった。NHK『サラメシ』で故人の愛した店を紹介する「あの人が愛した昼メシ」のようだと言いながら、私たちは本をテーブルに置いて写真を撮ったりした。

それを見ていたのだろう。マネージャーの女性がやってきて、本が欲しいという。実は帰国前に会う方に渡すために持ってきたので少しばかり躊躇したが、彼女が懇願する姿を見ていたら、オシムさんが人々に愛されていたことを実感できた。

女性の名はファジラさん。私が「じゃあ、どうぞ」と本を渡すと「あなた、サインして!そこの席もオシムのお気に入りの席だったけど、向こうの席もそうなの。日本のマスコミ、テレビ局や新聞記者、ジャーナリストたちがたくさん来てはここでインタビューしたわよ。向こうでミスター・オシムの思い出話をしましょう」えっ?ここが?そこにどっしり座るは、我が夫Pである。「ここがオシムさんの席なの!?」とお尻を浮かして感激するPに、ファジラさんは目を細めていた。

ファジラさんの話はとても興味深いものばかりだった。ウエートレスだった30数年前からオシムさんと知り合いであること。病に倒れてからも通ってきたオシムさん夫妻の様子も。それらはまたどこかで書きたいと思うが、今日はこのことだけ伝えよう。

「明日も来てよ。お茶しよう」と言われ翌日ランチに行った。「Pod Lipom」がオープンしたのが1959年とPが生まれた年で、ファジラさんは私と同い年。縁を感じた。

「オシムはここの料理が好きだったけど、彼が通ってくれたのはそれだけじゃないのよ。私たち従業員や、この店そのものを愛してくれた」

店の名前「Pod Lipom」(ポッド・リポム)」は、Googleマップを英語版いして検索すると「under LINDEN TREE」と出る。「菩提樹の木の下」という意味だ。サラエボ市内の中心地にあるこの店のエリアには125本の菩提樹の木があった。仏教の開祖であるブッダが菩提樹の木の根元に座って悟り を開いたが、中世ヨーロッパでは自由の象徴だった。そして、菩提樹の木を切ると不吉なことが起きるとされていた。

ところが、125本の菩提樹は太平洋戦争時に焼き尽くされた。店のオーナーは1959年、自由を取り戻すことと平和への祈りを込めて「菩提樹の木の下で」という名をつけた。

この話を聞いてオシムさんの行動や言動には、常に大義があることをあらためて思い知る。それは損得ではなく、正義や社会的意義。金を積まれてもビッグクラブに行かず小さなクラブを発展させることに力を尽くした。極めて純粋な大義である。ほかにも泰興さんに通いつめたのも、日本という外国で飲食店を切り盛りし、人々に愛される店主らへの共感があった。アマルさんも「タイコウサン、味がいい、人がいい」と話していた(値段が手頃、とも)。

ファジラさんに「本をオシムさんに渡したかったけれど間に合わなかった」と告げたら、「残念だったわね。でも、オシムは私とあなたを会わせてくれた。良いこともあったわ」と慰めてくれた。まさしく「bad luck.but,good luck」である。不運だけれど、そこに幸運もある。人生には良いことも悪いこともある。時にそれらは背中合わせだ。彼女と会えた。サラエボに会えた。

ファジラさんにはオシムさんの若かりし頃の写真をいただいたり、他にも素敵な思い出を聞いた。どこかでお伝えできればと思う。

10年前にファジラさんが植えた菩提樹の木が、店に寄り添うようにそびえている。オシムさんもよくこの木を眺めていたという。

contact

ご相談、ご質問に関しては下記のフォームより
お気軽にご連絡ください。

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

お問い合わせ