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『観ないで死ねるか!sports love Journey VOL13 サラエボ編』「オシムさんのお墓参り」

ようやくオシムさんとお会いできた。

『オシムの遺産 彼らに授けたもうひとつの言葉』を書かせてくださったお礼を言いに、ボスニアヘルツェゴビナの首都サラエボへ10月3日に到着。昨日4日、息子のアマルさんをホテル・ヘッコ・デラックスでインタビュー。ビルの9階にあるカフェからの見晴らしは、半分素敵で、半分哀しいものだった。1995年に終戦したボスニア紛争時の傷を残す建物がそこここに見えた。

通訳の女性が「戦争から28年経っても、すべては建て替えられない。私たちの国は貧しいから」と目を伏せた。彼女から聞かせてもらった話や、アマルさんのお話は後日何らかのかたちでお伝えしたいと思う。

その後、アマルさんが車で墓地まで連れて行ってくださった。道すがら、何人もの人が彼に声をかけていた。有名人なんだとあらためて実感させられた。私がアシマ夫人のお土産に買った黄色いチューリップ(花言葉は幸福)はアシマさんがオーストリアのグラーツのほうの自宅にいらっしゃるので、アマル夫人に渡すことに。墓前に供える花籠はアマルさんが墓地前の花屋さんで買ってくれた。「いいから、いいから。私も旅行などで留守にしていたから2週間ぶりなんだ」と花籠を下げて戻ってきた。アマルさん運転の車が門の手前で止まると、守衛さんがニコニコしながらバーを上げてくれた。

「スペシャルトリートメントなんだよ」とアマルさん。本来なら何か手続きが必要だが省いてくれたのだろう。

「(スペシャルトリートメンチは)ミスター・アマルへの、だね」

「いや、オシムサン、だよ」と笑った。

墓地に入ると、ひときわ花に埋もれた墓石が見えた。

オシムさんのお墓だ。こうやって人々が備え、冥福を祈ってくれるそうだ。アマルさんは「(花籠の個数は)これと同じくらいか、もっと多い日もある」と教えてくれた。どれも日本のように挿し花ではなく花籠だった。

写真は9年指揮を執ったSKシュトゥルム・グラーツ(オーストリア)が発行したもののようだ。持参した好物の柿ピーと日本酒を備えた。ジャージのポケットに入れた柿ピーを、練習中にポリポリ食べていたほど大好きだったと聞いたから。

手を合わせていたら涙があふれた。本をお渡しするはずが、間に合わなかった。そうアマルさんに伝えると「bad luck」とつぶやいた。奇しくも28年前の10月に当時のクリントン大統領によって紛争の終結宣言が出されている。昨日は実にさまざまな出逢いがあった。

オシムさんを訪ね、サラエボを感じる旅はこのあとも続く。またお伝えしたいと思う。

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