news

HOME > 連載 > 『観ないで死ねるか!sports love Journey VOL15 サラエボ編』「Lost baggage」
連載

『観ないで死ねるか!sports love Journey VOL15 サラエボ編』「Lost baggage」

10月6日早朝にオーストリア航空でサラエボを出発。ウイーンで8時05分発の便に乗り換えミラノへ。空港からミラノ中央駅へ移動し、16時発のTGV(フランスの新幹線)に乗ってその日の23時頃にはパリへ到着する予定だった。翌7日朝には、オランダから夜行バスで娘がやってくる。私にとって34年ぶりのパリを楽しみつつ、書かなければいけない原稿もあった。

ところが、ウイーンでのトランスファーはパスポートチェックがあり、長い列があった。私たちは走りに走って、乗り換え時刻ギリギリ5分前に搭乗口に到着した。それなのに、靴からスカートからブレザーまですべて真っ赤な女性スタッフは「もう飛行機は行っちゃったよ。あそこの窓口で新しいチケット取り直して」と言う。

耳を疑った。普通待つでしょ?と思わず日本語が出た。カウンターに行くと、荷物はその便に載せていないからウイーンにある。取り直した便に乗せるから安心しろという。恐らくはなから間に合わないと判断し載せなかったのだと思う。しかも、また新たにチケットは買わなくてはいけないというではないか。時間は過ぎてなかったじゃん、と抗議したが「格安チケットはチェンジできないのよ」と両手を広げるのだった。とりあえず12時40分発の次のミラノ行きがとれた。またもやギリギリだが、予定していた列車には乗れそうだ。絶望の中に希望が見えた。

それにしても、トランスファーが可能だからチケット予約サイトは提示したのだろうと思う。が、トランスファーの仕組みを確認せず短い時間でフライトを組んだ私たちが悪い。そう考え、次に活かすしかない。やや時間はかかったが、そう考えることにした。

4時間待って、ようやくウイーンを発つ時間になった。日刊スポーツ時代にオーストラリア出張でLost baggage(ロスト・バゲージ)を1週間経験している私は、ウイーンの出発カウンターで荷物札を見せて確認してもらった。彼は「確かに積んでいるから安心して」とウインクした。欧州の男はやたらウインクするのだ。

しかし、1時間20分後、私とP(パートナー)は、ぐるぐる回るベルトコンベアーの前で立ち尽くすことになる。Pは他のベルトのほうに紛れていないかと走り回り、私は職員を探した。黄色い蛍光ベストを来た男性が「ロストバゲージの相談窓口に行って。ここをまっすぐだから」と指を指す。「LOST&FOUND」のサイン。二度と足を踏み入れたくなかった場所だ。

部屋に入るとすでに数人並んでいた。調べてもらうと「荷物はウイーンにあります」と言われた。もうパリ行きの列車には間に合わない。ミラノにもう一泊するしかない。そういった経費の弁償はどう請求すれば良いかと尋ねたら「割引チケットをルフトハンザから買ってるよね。ルフトハンザに言って」と言う。いやいや、ロストバゲージはあなたたちの責任でしょ?と言ったら、カウンターの男性は怒り始めた。「金曜日で人が凄く多かった。荷物も多い。僕らはこれをやって、あれもやって」といかに忙しかったを言い連ねた。

「それ、エクスキューズじゃん」と言いたいのを堪えた。彼を怒らせるのは得策ではない。ここは手続きを進めてもらうしかない。書類にメールアドレスや住所などを書き込み、パスポートを見せ、引き取り書類を作ってもらった。荷物は次のウイーンからミラノに着く17時着の便に載せるという。翌日にならなかったのは不幸中の幸いだ。

「17時30分から18時の間に来てください。今日はご迷惑をおかけしました」と彼が言ったので、私たちは深くお辞儀をして礼を述べた。次に並んでいたご婦人が、微笑みながら私に向かってうなずいた。(さっきの剣幕はすごかったけど、無事に手続きできて良かったわね)と言いたかったのかもしれない。

私たち以外に、中国人男性2人、イタリアのご夫婦、英国人女性1人が、呆然とした顔で同様の手続きを済ませた。青いシャツを着たイタリア人男性は「とりあえずはその日中に荷物が戻ることがわかり安心した」と言い、手を振ってくれた。「大事な荷物をなくした」というグリーフ(喪失感)を共有した仲間意識が生まれていた。私は「good luck!」と手を振り返した。

横でPが「まあ、bad luckではあったけどね」と力なくつぶやいた。荷物の受取所をくまなく探し歩くなどし疲労困憊だった。実はロスト・バゲージがわかった瞬間、なぜ私たちばかりがこんな目に遭うのか、とか、そもそも旅程に無理があったのにどうして変更しなかったのかと自分たちを責めたり(責め合ったり)した。

しかし窮地に陥ったとき、その運命を呪うのではなく「次にどうするか?」と考えなくてはならぬ。カフェでコーラを飲んで気持ちを切り替え、パソコンを開き、旅の変更手続きを粛々とこなした。

Pはまず、その夜泊まる予定だったホテルにキャンセルのメールを入れた。当日なので宿代は戻らないだろうが、心配するかもしれない。知らせるべきだ、となった。疲れていて他にやることはいっぱいだったが、Pは慣れない英文を一字ずつ打ち込んだ。日本語で打ったのをグーグル翻訳してコピペすれば?と思ったが、短くても不器用な英文のほうが伝わるものはあるだろう。

それを済ませたら、翌日ミラノからパリへ向かうユーロレール(欧州鉄道)の予約である。フリーパスなので乗車券代は無料だが、特急券の予約手数料がかかる。この日乗れなかった列車分はすでにキャンセルはきかないのであきらめるしかなかった。まずは夜発で寝台列車みたいなものを探したが見当たらない。そうすれば宿代も節約できるのだが、夜発はどれも夜中に乗り換えたり、早朝に数時間駅で待つなどしなければならない。疲れ切った老体にこたえるだろう。

結局翌朝パリへ向かうことを娘にも連絡してからその日夜の宿を探した。ルフトハンザに請求はしてみるが、かなわなかったときのことを考えると安宿にこしたことはない。なおかつ翌朝の移動を考え、列車が出るミラノセントラル(中央駅)に近いところを探し当てた。結構高額な宿なのに、もう夕方なのでセールになっている。「あと1部屋!」の表示に焦りながら予約した。

オシムさんは「思い通りにいかないのが試合だ」と言ったが、旅も思い通りにはいかない。「この計画はおまえたちが立てたんだろ?だったら、変えられるのもおまえたちだ」の言葉も『オシムの遺産』に登場する。自分が書いた一文をサラエボの帰路に実感できた。感無量である。

そして作業の途中でふと気づく。二人ともいつの間にか嬉々としてパソコンに向かっていた。アクシデントの連続にあんなにも悲嘆し、時にいがみ合った。結構険悪だったのに、問題解決に向かって一丸となっているではないか。まさにスクラムを組んで(笑)。

そういえば映画『スピード』ではアクシデントの渦中にサンドラ・ブロックとキアヌ・リーブスは恋に落ちるが、結婚27年の古株夫婦にそんな色気は皆無だ。「この恨みは美味いものを食べて晴らすしかないね」と夜何を食べるかを延々話した。

Pが「でも、明日は昼間の移動で、ローザンヌで乗り替えたりするから景色がいいんじゃない?」と言う。数時間ぶりにみた笑顔であった。本来なら夜間の移動だ。まさしく「bad luck.but,good luck」であった。

イタリアからスイスに入った車窓より。昼間だったからこそ目にできた絶景だった

contact

ご相談、ご質問に関しては下記のフォームより
お気軽にご連絡ください。

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

お問い合わせ